こんにちは!コモ子@やまたび北海道(@ComocoHk)です。
この記事では2015年に登った山について、振り返りをします。
自分向けに日記を残すのが目的で、当時感じたことやエピソードなどをのちに読み返すために書いているので、読者さん本位でない点はお許しください。
では、さっそく2015年のアクションとその内訳について。
総 数 | 山歩き | マラソン | 旅など | |
国 内 | 22 | 17 | 2 | 3 |
まずは簡単なレビューから。
2015年は、8月いっぱいまで山歩きをしていましたが、人生が一変する離婚という出来事があって、秋・冬はほとんど活動をお休みしています。
また、正月早々に交通事故に遭ったのもこの年。
クルマを失ったために、MTBを始めたのもこの年の出来事でした。
では、さっそく1月からの出来事を振り返ります。
1.元旦は、迷沢山と阿部山の周回登山
1月1日。近所の裏山迷沢山と阿部山を周回登山。
わりと朝早くから登り始めたが、迷沢山への登りが猛ラッセルで、4時間はかかった。
さらに峰越を経由し、阿部山から下山したときにはすでに辺りは真っ暗。
正月早々、完全燃焼系の山歩きが楽しめた。
仕事であっても趣味であっても、本気で燃え尽きるまで打ち込むと充実感が半端ない。
中途半端はダメだ。
山歩きはわずか1日の活動だけで、そういう気持ちまで到達させてくれることが多いから大好きだ。
そこには、アスリートの本質みたいなものがあるのだと思う。
元旦、雪の平和の滝から迷沢山と阿部山登山。手稲山の眺めをいつもと反対から眺めてみませんか?
2.チームしんちゃんず、厳冬期のピセナイ山へ
1月4日。チームしんちゃんずで厳冬期のピセナイ山へ行ってきた。
1日の迷沢山から中2日で山へ出かけるというのは、当時はかなり気勢が充実していたものと思われる。
確かに振り返れば、前年の2014年は37回も山に登っている。
その勢いがまだまだ衰えていないのだろう。
ピセナイ山へは、日の出前から林道歩きを始め、猛ラッセルの末、正午頃に山頂へ到着した。
しんちゃんはピークを踏めなかったが、長い林道歩きと、急峻な尾根をラッセルし、最後は稜線まで登ってきた。
この当時、おそらく喜寿を過ぎていただろうから、本当にお見事だ。
下山後、札幌市内で真横から車を追突されるという交通事故に遭い、最終的には廃車となった。
この事件が人生を大きく変える離婚という転機に関係していて、最も最下層に位置している真因だと思う。
でもそれを詳しく知る人間は、実は一人もいない。
そう、詳しくは誰にも話していないからだ。
【ピセナイ山】積雪期の日高山脈を一望するには、ピセナイ山頂がイチ押し!
3.なぜにこの時期?北根室ランチウェイ
2月8日、北根室ランチウェイ敗退。
この頃、北根室ランチウェイの存在を知り、フットパスに大きな興味を持った。
先月の交通事故で車を失ったことで、気軽に山歩きに行けなくなったことも関係している。
思い立ったらすぐに行動したい、衝動が止まらない。
自分はもともと「グズ」なほうだが、年を重ねるにつれてせっかちになり、口より行動が先に出るようになってきた。
陸上自衛隊での教育、特に陸曹教育隊や幹部候補生学校での秒単位の日常起居や、退職後に飲食業で連日13時間以上立ち仕事をしていた経験も大きいと思う。
で、土日の休みをもらって決行、根室行きの夜行バスに乗り、早朝に中標津到着。
氷点下10度の寒い朝、当然除雪されていない中標津の公園内をスノーシューでひとり行く。
「こんな早朝6時にいったい自分は何をやっているのだろう?」と自問自答する。
冬の北根室ランチウェイは、思い描いていた夏のフットパスとは随分異なっていた。
そりゃそうだろう。
4時間歩いて開陽台へ着いたとき、閉鎖されたレストハウスの外で随分と思い悩む。
夢と現実が大きく乖離していたときに迫られる、切実な状況判断だ。
結局、公道を歩くことにし、最終的にJR摩周駅まで歩き、釧路から夜行バスで帰ることにした。
***
実は、JR摩周駅に来るときはいつもこうだ。
数年前にも、別海町でスクーターのタイヤがバーストして、駅員さんに申し出て、1週間ここにデポして帰ったのを覚えている。
1週間後の休日、釧路で軽トラをレンタルし、ホーマックでトラロープとスロープ用の板材を購入し、スクーターを軽トラに乗せて北見経由で24時過ぎに札幌まで帰ってきた。
この愛車は2018年の交通事故で廃車となったれど、結婚生活の11年間より長く付き添った思い出だ。
***
釧路ランチウェイの話に戻そう。
結果的に、総歩行距離は60km近かったように思う。
長靴を履いて20kg以上の装備を担ぎ、最後は吹雪の峠越え。
国道なのに、遭難するかと思ったくらいだ。
自己承認、よくやったと思う。
残ったのは心の思い出と自己信頼だ。
【北根室ランチウェイ】冬期間の雪の状況の悪さに苦しめられ敗退。一般道をつないでエスケープルートで弟子屈へ
4.ピリカヌプリ敗退
4月18日、ピリカヌプリ。敗退。
そうか、これは2015年の出来事だったか。
北海道で山歩きをしていたら、多くの人が最終的にこの山を目指すと思う。
群別岳、知床岳、海別岳、イドンナップ岳、1839峰、エサオマントッタベツ岳、それに札内岳。
社会人になって、趣味で夏山から始めた一般登山者には、どれもが遠く、困難で、強い憧れを抱くだろう。
これを書いている2020年3月現在、僕はいま海外マラソンや海外登山のほうがワクワク度が高い。
だから、ピリカヌプリに再チャレンジするかどうかは分からない。
そのくらい、現在の興味の対象から外れてしまったのが正直な気持ちだ。
この当時は、かなり本気で準備をして挑んだものの、稜線に上がる手前でテントポールが脱落して紛失していることに気付き、撤退を決める。
コンディションも良くて、チャンスだったのに。
なんとあっけない結末、ヒューマンエラー。
おそらく自分には縁がなかったのだろう。
5.シーズン終盤、阿女鱒岳
5月5日、阿女鱒岳。
30代は陸上自衛隊の幹部(管理職)になって間もなく、民間企業へトラバーユ。
飲食業界の中でもかなりブラックな企業に人生を捧げた日々。
そんなブラック企業が完全燃焼系で楽しくて仕方なかった。
最後はそこでも幹部になって、部下をたくさん持つことになった。
実はこのブログの名前は当時の社名から頂いた。
その会社はいまは存在していないので、勝手に引き継いだ感じ。
当時は山歩きなんてほとんど出来なかったけれど、2014年に転職してからは休日が多いので山でいっぱい遊んだ。
でも経済的には2015年は最低レベルだったので、近所で遊ぶことも多かった。
阿女鱒岳もそんな山。
近くてお手頃、ゴールデンウィークはすでにスキーのオフシーズンで、誰ともスライドすることもない。
行きと帰りはキロロ周辺のツーリングも楽しめ、帰宅後は近所のお風呂に入って、ビールを飲めば、最高の休日じゃないか。
最近は毎月のように海外旅行へ行って、日常とは大きくかけ離れたところでハッピーな気持ちになるけれど、小さなことを幸せと感じられる心は、いつまでも忘れないようにしたい。
阿女鱒岳、ツボ足ハイクで余市岳と羊蹄山の眺め|5月上旬はスキーもスノーシューも不要
6.百松橋から手稲鉱山
5月11日、百松橋→神威岳→烏帽子岳→百松沢山→峰越→奥手稲山→手稲鉱山。
この時期にツボ足でこんなことやってるヤツなんていねぇ、っていうような山歩き。
何といっても烏帽子岳から峰越まで雪が繋がっていないのだ。
藪漕ぎで心が折れ、百松北峰のプチ滑落で顔面強打寸前、峰越の水不足で喉がカラカラ。
約12時間、よくやった。
何といっても、峰越あたりまでの猛烈な藪漕ぎがツラかった、、、もうやらないだろう。
神威岳・烏帽子岳・百松沢山・奥手稲山の縦走|楽しくない5月の雪山・藪山ハイク
7.小林峠から砥石山
5月20日。砥石山。
藻岩山の兄弟分みたいな山、といったところだろうか。
小林峠からアクセス。
当時、手稲の富丘に住んでいたので、バイクで30分くらいで現地へ。
30代の頃、川沿にあるコープソシア店や平岸ビッグハウスのテナントで勤務していたことがあるので、この道は毎日の通勤経路だった。
とても懐かしい。
トレランに快適なコースで、たとえ走らなくてもそこそこの距離を気持ちよく歩けるのが魅力。
脂肪燃焼、ダイエットに最適だと思う。
今日は天気も微妙で何しよっかなぁ、ってときに最適かも。
正午には帰宅。
どうやら、この時もブログを書いていないようなので、再訪して書くことにしよう。
8.シューパロ湖から夕張岳
5月24日。ゲートが開く前の夕張岳へ。
深夜のうちにスクーターで札幌を出発し、シューパロ湖に到着したのが日の出の時刻。
約80kmの移動がとっても寒くて、体が凍てつく感じ。
バイクでの移動って、そこがいいのかもしれない。
僕を雨風や寒さから精神的にタフにしてくれたのは、20代から乗っているバイクだったのかも。
***
シューパロ湖畔から市道と林道をランで約2時間。
冷水コースIN。
途中でヒグマに遭遇し、心臓が飛び出しそうになるハプニングもあったし、望岳台でのトラバースも進退窮まったけれど、 何とか未踏の夕張岳に登頂することができた。
マダニにも咬まれたけれど、完全燃焼系の夕張岳だった。
【夕張岳|日本二百名山】林道でヒグマに遭遇、マダニにも咬まれる|冷や水コースと馬の背コース
9.中1日で神居尻岳
5月26日、夕張岳から中1日で神居尻岳。
ここも札幌から1時間半くらいで行ける山。
夕張岳から下山して、脇の下がつっぱる様な違和感を感じ、よく見るとマダニが食い込んでいた。
神居尻岳を午前中で切り上げて、そのまま皮膚科へ行くことにしよう。
僕は子供の頃、比較的病弱で内科・小児科によくかかったものだが、大人になってからはめったに病院へ行くことがなくなった。
でも、皮膚科とか眼科、整形外科といった診療科目には、ちょくちょくお世話になる。
この後、2017年のイドンナップ岳でもマダニにやられたが、上から軟膏を塗ってマダニを窒息死させる手段で摘出できるようになった。
【神居尻山】隠れたお花の名山は札幌から日帰りできる易しい山|初心者さんや子連れハイクに最適!
10.北日高、ピパイロ岳
6月1日。母のリクエストで北日高のピパイロ岳へ。
お昼に札幌を出発し、伏美小屋で前泊して早朝出発で日帰りするパターンだ。
伏美小屋はどうも小動物が住処にしているらしく、彼らが夜間に走り回って眠りが浅めだった。
ウラシマツツジが満開の登山道をまずは伏美岳へ。
ドピーカンで最高の山並みを眺めを楽しんだのち、ピパイロ岳への稜線を行く。
稜線上にはそこそこの雪が残っていたおかげで、伏美ーピパイロ間はかなり楽に移動することができた。
天気は本当に最高で、山頂から見た1967峰の眺めが忘れられない。
67歳でピパイロ日帰りは厳しかっただろう、よく登ったものだ。拍手!
人生はいくつになっても、高い目標があれば若々しく生きられるものだ。
そして、子は40歳を過ぎても、まだまだ親から学べることがあるのだ。
伏美岳・ピパイロ岳|残雪の北日高の山並みが美しい「最高の展望台」へ6月に日帰りで訪れてみよう!
11.JAL、千歳マラソン
6月7日、千歳JAL国際マラソン。
昔は日航マラソンって呼んだけれど、いつの間にか変わったらしい。
20代の頃に何度かフルマラソンに参加したけれど、2013年になって久しぶりにエントリー。
2013年はフルマラソンに参加したあと、夕方から仕事をした。
弾丸旅行の世界では、深夜のフライトで海外から帰国をしてそのまま出社することを、エクストリーム出社という。
フルマラソンを走り終えてそのまま出社するのも、間違いなくエクストリーム出社だ。
2014年は北海道マラソンに出場したので欠場。
2015年の今年はハーフマラソンに参加した。
日航マラソンと言えば、おなじみのクマをあしらった参加年のTシャツを貰えたものだが、デザインが変わってシンプルなTシャツになってしまった。
これ、結構楽しみにしていただけに残念なんだよな。
これをきっかけに、千歳JAL国際マラソンには参加していない。
ただ嬉しいことも。
東千歳自衛隊時代にお世話になった先輩や、同僚がマラソン運営の支援に参加していて再会できのだ。
同僚は無印だけど陸曹長になっていて、時が経つのは本当に早いと感じたのであった。
12.KUMA、札幌外環100km
6月14日、MTBで札幌外環100km。
交通事故の保険金で、ビアンキのKUMAと言うバイクを購入し、札幌市の外周を周回するルートを走ってみた。
1月の交通事故で失ったクルマを取り戻すだけの経済力がなく、だったら冬でもMTBで通勤してやると考えて、MTBを購入することにしたわけだ。
このあと色々あって、自分にとっては曰く付きのバイクになってしまったけれど、生涯所有したいと思う。
札幌外環のコースは手稲区から始まって、ほぼ全区を回る。
時間にして約7時間くらいだったと思うが、僕のような自転車初心者には意外とハード。
走ったり、山に登ったりするのとは違う筋肉を使うので、自転車も春夏のトレーニングには最適だね。
13.花の名山、大平山
6月20日、花の名山大平山。
メンバーはチームしんちゃんず。
大平山は狩場山地の一つで、札幌からの移動距離は意外と遠く、大雪山系へ行くより時間がかかるくらいだ。
そしてこの山、うわさ通り。
本当にたくさんの種類のお花を楽しむことができる。
帰りに楽しめる宮内温泉は最高に素晴らしいので、温泉だけでも何度も訪れたい。
季節を少しずらして再訪しよう。
案外、冬も面白そうだ。
【大平山】お花好きが必ず登るべき山はココしかない!多品種の高山植物を楽しんでみて!
14.西クマネシリ岳
7月12日。西クマネシリ岳。
今回もチームしんちゃんずにて。
2016年の台風・大雨による路面洗堀によって、今では遠い山となってしまったけれど、2015年当時は普通に登ることができた。
ただ、東大雪は札幌からの陸路移動が長い。
遠いうえに林道もあるってことで、日帰りだと結構ハード。
深夜出発で夕方以降に帰宅が当たり前となる。
真夏の暑い日だったけれど、山頂付近はポカポカ陽気で気持ちよく、ここからの眺めは実はかなり素晴らしい。
特にクマネシリ山塊の稜線は、他では見られないような独特の風景だ。
さて山頂では、50代半ばで会社生活をリタイアした女性と出会い、少しお話をした。
僕も離婚を機に、早期リタイアを考えているのだけど、その理由を探求すると、好きな活動にもっと時間を費やしたいというのがその動機なのだと思う。
好きなタイミングで、自分のやりたいことが自由にできる生活を手に入れたいわけだ。
でも、それって働き方を変えることで実現できる可能性がある。
僕の場合、天気の良い時に山に登れて、海外マラソンのイベントに合わせて休日を取得でき、好きな場所に居を構えて仕事ができればいいわけ。
それは決して仕事がしたくないわけではなく、一定の拘束時間に縛られることなく、仕事ができれば両立可能だと思う。
それってフリーランスでなければ実現できないのかと言えば、決してそうではない。
多くの会社にとって、慣習を変えることができれば、きっとそういう働き方を実現できる人は増えると思うのだ。
【西クマネシリ岳】大雪山系を見渡す最高の展望台へ登ってみよう!
15.十勝連峰日帰り縦走2回目
7月27日。十勝連峰日帰り縦走2回目。
3連休をもらっていたのだけど、当時何のために連休を取ったのかは忘れてしまった。
1日自宅に引きこもってブログを書いていると、頭がおかしくなりそうだったので、急きょ山へ行くことに。
昨年に続いて十勝連峰の日帰り縦走をやってみようと思う。
今回は十勝岳温泉と吹上温泉との分岐点にバイクをデポし、そこから徒歩で十勝岳温泉へ行くところからスタート。
富良野岳、十勝岳、オプタテシケ山を折り返し、再び十勝岳、最終的には上富良野岳でゴール。
美瑛富士には寄らなかったけど、十分に満足。
スクーターで札幌まで帰る途中、途中で何度仮眠を取ったことか。
完全燃焼系の山は本当にいい。
【十勝連峰日帰り縦走】十勝岳温泉からオプタテシケ山まで往復してみた
16.東北遠征第1日目、岩木山
8月2日。岩木山。
東北遠征をチームしんちゃんずで行ってきた。
苫小牧からフェリーで八戸へ渡る。
ニコニコレンタカーを借りて、初日はガスガスの岩木山。
せっかくの名山もガスに包まれたら、思い出は半減だ。
でも、日本国内で旅をするなら、やっぱり東北。
遊べる山もたくさんあるし、下山後の温泉も最高だよね。
17.2日連続の独立峰、鳥海山
8月3日。この旅のメインは鳥海山。
すかっ晴れで最高の天気!
やっぱり山は天気だよね。
前日は秋田市内に泊まり、朝は早めに起きて一人で市内をランニング。
そう、月末に北海道マラソンを控えているからだ。
6時半にみんなで朝食を食べてから登山口へ向かう。
思っていたよりも陸路の移動が長くかかり、9時から登山開始、山頂到着は14時近かった。
それでも3人でピークを踏んで、今回の目的は無事達成できた。
帰りは北上まで車を走らせ、到着は23時頃。
翌日は再び八戸まで移動して、フェリーで苫小牧へ帰ってきた。
北海道の感覚で陸路移動を見積もっていると、膨大な時間がかかり、運転もつらいし、同乗者もつらいよね。
そうそう、このときのブログってまだ書いてないんだっけ。
18.北海道マラソン、メンタルボロボロ、完走すらできず
8月30日。2015北海道マラソン。
昨年に続いての参加。
3日前に緊急の夫婦ミーティングを行い、そこで衝撃的な報告を2件も受けることになり、さすがの自分も精神的に参ってしまった。
そんなメンタルで参加したものだから、完全にノックアウト。
新川通りを折り返し、約30km地点で吐き気に耐えられなくなりリタイア。
初めて収容バスに乗ることとなった。
この後も2016年のサロマ湖ウルトラマラソンで収容されることになったけれど、 救急車に乗るよりまだマシか。
北海道マラソンを終えてから、翌月の9月はすべて離婚に向けた準備に費やした。
直近の生活資金も無ければ、引っ越しの資金もない。
あわや自己破産というところだったが、仕事をしていたので何とか翌月に繋げることができた。
19.札幌マラソン
10月4日。札幌マラソン。
北海道マラソンのあと、次に住む賃貸住宅を探し、引っ越しの準備などで約1ヶ月間は停滞した。
すでに申し込んであった札幌マラソンには一応参加し、同時に引っ越し。
この大会出場から新しい人生の幕開けとなった。
ちなみに引っ越しは軽トラを借りて、セルフで引っ越した。
この後2018年にも引っ越しをしているが、この時も軽トラだけで引っ越し。
ニコニコレンタカーで軽トラを借りれば、5千円もかからずに引っ越せるというのは、ミニマリストならではだと思う。
20.初冬の黒岳
10月17日。大雪山系黒岳。
沈んでいたメンタルは完全復活。
酒を飲んで一晩眠れば多くのことは忘れられる自分だが、今回だけはちょっと時間を要した。
引っ越しして2週間が経ち、母を連れて黒岳へ登ってきた。
最高の天気で表大雪は真っ白の雪景色。
ペアリフトからは雲海に浮かぶ北大雪の山並みが美しく、「最高」と呼ぶのにふさわしい山歩きだった。
山はどんなときでも、変わらぬ姿で自分を受け入れてくれるのだ。
大雪山系黒岳|真っ白な北鎮岳や白雲岳に会いに行こう。10月中旬ならロープウェイとリフトを使って簡単に登れます。
21.モエレ沼ラン
11月20日。モエレ沼。
この当時住んでいた白石の自宅から、往復20kmのラン。
先月は黒岳で満足し、メンタルな部分は復帰できたものの、金欠状態は変わらない。
引っ越しにかかった経費は、クレジットカードで分割払いにしていたものの、1か月あたりの負担が大きくて、不本意ながらリボ払いに変更したためだ。
リボ払いは絶対に利用しないと思っていたものの、そうせざるを得なかったわけ。
結局は12月の賞与で繰り上げ返済をしたことで、完済できたが、利息だけで1万円以上を支払ったと思う。
お陰で、イオンカードゴールドのインビテーションが届いたのだけど。
金欠で、こういう遊びしかできなかったこの当時。
杏里のFUTURE FOR YOUという唄のなかで、「そうよ、ジャンプするには一度しゃがむの、深く深く落ち込んでも未来は私の心の中で息づく」 という一節があり、今回もこの唄に勇気づけられた。
名曲だと思う。
22.雪の岩見沢方面自転車旅
11月22日。自転車小旅行。
2日前に引き続き、お金がかからない遊び。
風が強く、とても寒い1日だった。
走行距離はおよそ90km。
自転車で1日に500kmくらい走る人がいるけれど、本当にリスペクトする。素晴らしい。
そして今年はこれで終了。
ややハードな山歩きもしたけれど、2014年に比べれば控えめな1年間だった。
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