先日、モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるにはという本を読んだのだけど、将来の生き方について自問自答してみたので、ここに考え方をまとめてみたい。
この本に描かれているライフスタイルは「旅するように働き、暮らす、自由な生き方」である。
端的に表現すると、
- 住む場所を固定しない
- 働き方や働く場所も固定しないで、好きな仕事をする
こんな感じだ。
仕事の内容も、日常生活も自分がベストだと思う状態を実現した、いわゆるワークライフバランス、もといライフワークバランスが最適の状態だと思う。
いかにも快適そうだ。
ただ、この本の中でも少し触れられているように、こういう生き方を継続していくには、それ相応の自己管理とブレない信念が大切になってくると思う。
それと、この本に描かれているライフスタイルは、狭義の意味でのセミリタイアとは似ているようでちょっと異なると思う。
この本に書かれていることは、好きなタイミング、好きな場所に住みながらも、社会とは積極的に関わって好きな分野で仕事をしていくというスタイルだ。
いっぽうで私がイメージするセミリタイアとは、資産を築き、あるいは不労所得が得られる環境を築いてから会社等を辞める、そんな感じではないだろうか。
なんとなく、セミリタイアは「引退後の生活」に近く、しかも「隠居」をイメージしてしまう。
ただ、それとこれとが全く違うかと言えばそうではない。
共通する部分もありそうだし、そういった時期だってあるだろう。
ここに描かれている生き方は高度な転職?それともセミリタイア?
本の話に戻すと、会社員からフリーランスとなるにせよ、小さな複数の仕事を受けながら好きな場所で生きていくにせよ、これらはセミリタイアではなくて転職に近いと思う。
ある意味ではとても「高度な転職」であって、誰もができるほど簡単ではなさそうだ。
実際にこの本の中では、相当な期間に亘って準備を重ねて、こういうライフスタイルを実現したと書かれている。
いっぽうで多くの人が漠然とイメージしているような、完全にフリーになって自由気ままに生きていきたいという願いは、会社勤めから自分を解放し、仕事をすることそのものをやめる、やはりセミリタイアなのだと思う。
僕自身も以前ブログに書いたように、中長期の休暇を取得して実現したいことは山ほどあるけれど、現実問題はそう簡単ではないし、かと言ってセミリタイアができるような準備もできていない。
先に表現した「高度な転職」をする実力もない。
また僕だって人間なので、会社勤めの中で生じる断片的な出来事で仕事に嫌気がさすことだってある。
そんなときにも、会社に縛られずに自由気ままに生きたいという方向に針が振れがちだ。
会社の判断基準は、年収の多い少ないだけではない
でも僕は20代に勤めた陸上自衛官時代を通じて、献身的に働くということに全く違和感を感じなかったし、 自分を大きく成長させてくれたという実感がある。
自衛官には基本的に残業と言う概念がないので、(勤めた時間に対して)報酬が上乗せされなければ、仕事にやる気が出ないというような打算的な気持ちはないし、考えたこともなかった。
それ以上に、集団生活や日常起居を通じて、時間の大切さを学ぶことができた。
転職後の30代は残業手当すら出ない、タイムカードを押さないで働くことが推奨されるようなブラック企業だったけれど、当時は会社に搾取されていると感じたことはほとんどなく、やりがいに満ちていた。
自分と会社のベクトルが合えば、たとえブラック企業でも毎日が楽しいというのが私の感想だ。
社畜と思ったことなんか、一度もない。
主人公は自分だからだ。
スタートアップの創業者は、おそらくこんな感じで仕事をしているのだろう。
もちろん、それを正当化するつもりはないことは言うまでもない。
30代、月に2~5回程度の休日は、ただひたすら体力を回復させるだけ、さらに自宅でも仕事をするくらいで自由な時間など皆無だった。
そんな20代と30代だったけれど、自己の内面に築き上げた無形のものは計り知れないほど大きく、自分の人生そんなに悪くなかったと思っている。
自分の壁を壊し、限界を超えることを自力で達成するのは難しい。
そんな貴重な体験を積んできたからこそ、若くしてセミリタイアを目指している特に20代の人には、より広い視野で多面的に物事を見て、人生を考えて欲しいと思う。
会社勤めは、決しておカネだけじゃないよ、と。
夫婦関係だって、人前ではお互いのことを悪く言うけれど、やっぱり愛しあっているから長く連れ添っているはず。
会社だって似たようなものだ。
時代が違うから、あくまでも老婆心だけど。
僕自身の話を続けると、40代になって独身になり、それまでより緩い会社に転職してからは、相変わらずセミリタイアができるような資産を築くことはできないものの、自由な時間はたくさんできた、というかやっと人並みになった。
だけど自由になった時間を、いまフル活用できているか?と自分自身に問うてみれば、疑問視せざるを得ない。
そんな自分が仕事を辞めて自由気ままに生きてみたところで、結果は火を見るよりも明らかだと思う。
何も成せずに惨めに朽ちていくかもしれない。
やはり会社と言う組織がある程度自分を管理してくれているからこそ、そこに不自由を感じ、そして自由を享受できるのではないか。
会社勤めとは、組織に属して人と関わっていくということ。
そもそも夫婦関係や友人といった最小単位ですら不自由で理不尽なことが山ほどある。
自由気ままに生きていくということは、極論を言えば自分の裁量で周囲との距離をコントロールし、好きな時に好きな人や組織と関わっていきたいという、ある意味では身勝手な考え方なのかもしれない。
セミリタイアを実現した人でも、何らかのカタチで社会と関わり、人々と繋がっていることが多いと聞く。
自由に生きていくための結論
ただの日記のつもりで書いてきたが、長くなってきたのでそろそろまとめに入ろうと思う。
結局のところ、いま僕たちが生きている社会は、実に多種多様な生き方を選択することができる。
人生の早い段階で人生設計をしながらも、ライフイベントによって計画を変更することもあるだろうし、そもそも移り気によって生き方が大きく変わることだってある。
だから、会社勤めを辞めてフリーランスのリモートワーク、あるいはセミリタイアして死ぬまで自由人という選択肢だけが、自由に暮らしていく唯一無二の方法だなんて思わない方がいい。
セミリタイアをしてみたけれど、気が変わってまた会社勤めに戻る、そんな幅を持たせた考え方がちょうどいいのではないか。
あくまでも現在の僕の考え方。
自分が将来をどう生きていくか、たまに立ち止まって考えてみることをおすすめする。
そして大切なのはまだ見ぬ出会いや経験によって、自分が変化していくということまで織り込んで考えること。
自分の未来は強い意志で思い通りになるが、自分に起こる変化はそのときになってみないと分からないものだ。