今年はレンタカーでの車中泊日数がすでに20日を超え、先日の旅行で5日連続で車内で寝泊まりしました。
5日連続で寝泊まりしてみると、さすがに「これってどうなの?」って自問自答することとなり、そもそも旅の計画の組み立て方に問題があるのではないか、ゼロベースで考え直してみる必要があるのではないか、と思い直すきっかけになっています。
今日は、私と同じような旅のスタイルをしているであろう中年以上の方(大半は男性だと思う)に向け、問題提起と言うか、一緒に考えてみて欲しいなって思い、ブログにまとめてみます。
旅をしているときのほうが、日常生活より質が低い?
学生時代から始まった貧乏旅行。
もうじき50歳になる今でも、
- 国内ではLCC+格安レンタカー+車中泊
- 海外でもLCC+公共交通+ドミトリー・空港野宿
そんなスタイルが定番になっています。
理由は限られた可処分所得のなかで、一回でも多くの旅行回数をこなしていきたいから。ただそのトレードオフとして、クオリティが大きく低下しているのは事実。
もちろん旅行の質なんて、ただお金を積めばいいってものではないけれど、日常生活より旅の最中のほうが質が低いことに関してはちょっと疑問符がつく。
深夜や早朝から山に登るために車中泊をするのは合理的だし、海外旅行では予約不要で格安で泊まれるチムジルバン(韓国)や空港ラウンジは便利なのだけど、やはり本来の目的で使用すべきではないのかなって。
つまり、車は移動の手段であって寝るための場所ではないし、シャワーやお風呂で汗を流し、足を伸ばしてベッドで眠れる宿泊施設で寝るのが理想ってこと。
今回の旅のように暑くてどうせ翌日も山に登るから、川で水浴びしておしまい、なんてNGなんですよ。そもそも日常生活ではそんな考えにならないはず。旅先でも身なりをしっかりして、ちゃんと自己管理しないと。少なくとも人々の生活圏に入るときは。
貧乏旅行を何度も体験すると、どこまでも際限なく費用を切り詰めて日数を消化しようという意識が自然に芽生えてしまい、あるべき姿から遠く離れてしまうんですよね。
でもずっとこれを続けていると、本当にこれでいいのかって思えてきちゃって。
私と同じような行動パターンの人を道の駅やショッピングセンターの駐車場なんかでよく見かけるけれど、客観的に見てちょっとおかしいよねって思えちゃう。
いかにも車中泊仕様の車から現れた人が、どう見ても還暦を過ぎた不潔そうなオジサン。旅という大義名分があっても、中身はホームレスと一緒じゃないかって。「あっ、これ自分なんだな」って冷静に思えてきちゃって。イカンイカン。
そうそう、道の駅ではよく注意書きがしてあって、
- 敷地内でテントを張らないでください
- ここで洗濯や歯磨きをしないでください
- 駐車場で炊事をしないでください
などなど。つまりそういう行為をする場所ではないですよ、みんなが迷惑している、みんな奇異の目で見ているんですよってこと。自分も含めてやっている当人たちは必要だからやっているのだけど、場所が不適切だってことが見えなくなって、最低限の配慮が欠けているのかも。
学生時代に駅や公園で野宿をしたことがあったけれど、駅の場合は終発以降から寝始めて、始発前には撤収するっていうのが常識だったし、公園だって夜明け前にはテントを畳んで出発するのが当たり前だったと思うんです。
でも道の駅を活動の拠点にして旅している人たちって、意外とそういう着意に欠けているオトナが多いかもしれないなって。
今回は車中泊5泊で一週間の旅をしてみたのですが、自分の旅のスタイルを見直してみるきっかけになりましたので、その辺について書いてみます。
切り詰めていい予算、そうしてはならない予算がある。
そもそも貧乏旅行って旅のスタイルではなく、ひとつの結果に過ぎないと思うんですよね。予算が取れないから仕方なくそういうスタイルになっているはずなんですよ。
しかしこれをずっと続けていると、初めから貧乏旅行スタイルありきになっちゃうのかなって。よく言われる、目的と結果、手段がごちゃ混ぜになっているような状態。
私たちのような収入源がある社会人は、学生モードを一度リセットしてみる必要がありそう。社会に出て25年も経って何をいまさらって感じですが、習慣ってそのくらい変えることが難しいってこと。
で、結論を先にいうと、旅のクオリティの最低ラインを決めておくべきだって話。端的に表現すれば、最初に触れた通り、日常生活を下回らないライン。
飛行機の移動は今まで通りLCCでいいんですよ。レンタカーだって格安でいいの。
だけど、宿泊は車中泊や簡易宿泊施設をベースに組み立ててはいけないのかな。
車中泊ってキャンプと異なり、設営や撤収の手間もないし、雨風も防げるから極めて合理的なんですよ。だけど、私がやっているのは簡易版キャンプとしての車中泊ではないの。ただの宿替わり。野宿と紙一重と言うか、むしろ野宿。楽しむというより、ただの宿泊費節約に過ぎないんです、少なくとも私の場合は。
ここで車中泊を考慮しないで思考を組み立ててみましょうか。
山に登る関係で早立ちの可能性があっても、宿に泊まるという発想をするとどうなるか。僅か数時間の利用だからもったいないなんて考えない。それなら早くにチェックインしてさっさと寝ればいいだけ。
早くにチェックインするには、今回のように長距離を一般道で移動するのではなく、高速道路を利用して移動時間を短くすればいいのだから、そのためには事前に高速料金の予算を積んでおく必要もある。
そもそも陸路を長距離を移動するくらいなら、最も近い空港へ乗り入れればいいのであって、安さを追求したLCC一択で考えるからおかしくなっちゃうのだと。
私の場合、そういうところから見直す必要がありそうなんですよ。
大切なのは思考を狭めないこと
貧乏旅行的な行動ばかりしていると、貧乏旅行的な発想しか生まれてこない。だからいつまでも貧乏旅行から脱却できないのではないかと。自己啓発本なんかでよく言われているように、考えていることやイメージしていること以外は実現しないって話がこういう場面にも当てはまる感じ。確かに私は豪華な旅行をイメージしたことは一度もないかも。
自分では決して貧乏旅行が好きなわけではないけれど、思考の狭さやイメージの欠如がそうさせてしまっているのかもって。
登山で遠くの山々に遠征するのだって、空港から公共機関とタクシーを使うっていう選択肢もあります。タクシーなんて高くて無理!って思いがちだけど、本当にそうだろうかって一度具体的に試算してみるとか。
交通網は一昔前に比べてとても発達しているし、ホテルの予約も当日にスマホで予約できてしまいます。今こそこういった旅行の仕方をすべきではないのかって。
そういった柔軟な発想ができるように、一つの旅のスタイルばかりにこだわらないと言うか、今までとは異なるスタイルの旅も体験してみる。そうすることで新しい発見もあるし、コスト最優先の考え方から脱却できるかもしれないなって思って。
冒頭に触れたとおり、私は旅行の質を上げることより回数を増やすことを重視しているのだけど、その考え方はそのままに、次回以降の旅では「日常生活を下回らない」レベルを追求した旅を計画してみることにします。
今日は、旅の最中に感じたことを綴ってみました。