山歩きに関して「自力で」とか「より困難に」とか、このような類似した観念に囚われていたな~って最近気付きました。
きっかけは先日訪れた裾合平。ピークは踏まない、目的は紅葉を楽しむだけ、たったそれだけの数時間なのに十分楽しい。私には大きな気づきでした。
やっぱり登山って、本来は楽しいものであるべきだと思うんです。ここがちょっと厄介。
ところがその楽しさって、困難を乗り越えて達成するプロセスの中で得られる側面もあるんですよね。
また、体力や技術の向上や登山経験を積むことによって自信が増して、より困難なチャレンジを求めるようになってくる。
でも楽に登って、美味しいトコ取りでもいいよね?
なんか今までの私って、ツラいプロセスを経ないと楽しくないって思い込んでいたみたい。
で、気付くとそういうことばかりやっている自分がいて、ちょっとした中毒なんじゃないかって思えてきた。
例えばトムラウシ山。
今まで三度登っているんですが、内訳は天人峡から二回、オプタテシケ山からの縦走路で一回。一番メジャーな新得のトムラウシ温泉から登ったことって実は一度もないんですよ。
短縮ルートで登っても心も体も満たされないって思い込んでいた私。
でも冷静に考えるとそんなわけないじゃんって。
森林限界を超えた後の楽園に訪れること、ピークを踏むこと、こうした目的だけを追求すれば短縮コースからピストンするのが一番いいのは明らか。
そのほうが合理的だし、そこには何の過不足もない。むしろ天人峡から登る方が単純に時間のムダ。最近、素直にそう思えるようになってきたんですよ。
目標を達成するために最短コースを行く、わざわざ遠回りしていつまでも到達できない人のほうが劣っている、ビジネスの世界なら当たり前のことなのに、趣味の世界になるととたんに考え方が変わってしまうなんて。
いやいや単純に天人峡コースが好きなんだ、静かなコースを歩きたい、途中の化雲岳にも登りたい、体力錬成を兼ねた山行にしたいなど別の目的があるなら、それはそれで構わないんですよ。だけどそうでもなければ不合理だってこと。
もちろん、今でも個人的に好きなのはロングルート設定だし、自分の体力を使い切るような山行のほうが満たされるんだけど、選択肢はそれだけじゃないんだってことにやっと気付いたってわけ。私、もう48歳なのに。
「楽しい」「ワクワクする」があればロングでもショートでもどちらでもいいし、お花の季節でも紅葉でも積雪時もいい。早朝から登らずロープウェイを使ってもいいと思うの。
とにかく固定観念にとらわれず、自分がやりたいことに重きを置いてこれからの登山計画を立てていこうと思うんです。
目標達成には手段なんてどうでもよくて、そのためには合理的で最短で到達できればいい、わざわざ苦労するような選択肢を選ばなくたっていいんだって思えるようになってきた私でした。
7月に訪れた飯豊山。どんな山でも森林限界を超えた高山帯で山岳風景を見るのが目的だし、初めて訪れる山ならピークも踏みたい。季節が初夏ならお花もみたい。それらを分解して考えた場合、①晴れた日に②最短ルートでピークに到達でき③お花畑を通過するルート、これが最適解となるべきだ。