最近になって、やっと「日本百名山」の原作を読んだ私。
百名山登山のほうも、いま現在50座ちょっとを登っているので、だいたい折り返しくらいでしょうか。
今日のブログでは、本を読んだ感想に登山経験を交え、いま感じたことを率直に書いてみようと思います。
他人の人生をトレースしているに過ぎないかも?って考えたら、興味の対象から少し外れてしまった。
いきなり結論を言いますと、
「いま自分がやっていることって、深田久弥という人物が辿った足跡をそのままトレースしているだけだよね?これ、いったい何の意味があるのだろう?」ってこと。
かなりネガティブな感想で申し訳ありません。
誤解を招かないようにあえて書きますが、日本百名山を否定しているのではなくて、むしろ自分自身に否定的な感情を覚えた、とでも言うのでしょうか。もしかしたら「目指している山を間違っているかも?」って。
これ、たぶん自分の性格とか価値観、生き方みたいなものが関係していますね、きっと。
他人とは違う、できる限り新しいことにチャレンジしたいって思うタイプなんですよね、私。
深田久弥という方は確かに偉大なんですよ。でも、原作の中から感じることは、自分と同じ登山愛好家の一人なんだってこと。現代で言えば、ヤマレコで山行日記を書いている人(私も含む)と、ほとんど変わらない印象なんです。
だから、自分がSNSあたりでフォローしている人がおススメしている山程度に過ぎないのかなって。その人(日本百名山であれば深田久弥氏)が推奨する山を、多くの時間と費用をかけてまで忠実に歩むことにいったいどれだけの意味があるのだろう?って思えてきちゃって。
自分の中で起きている現象は「興ざめ」というわけではなく、むしろもっと自分の頭で主体的に考えて好きな山に登ろうってことなんです。
日本百名山「リスト」は総花的?
登山者の好みも人それぞれで、北アルプスや日高山脈のような急峻な山並みが好きな人もいれば、富士山や開聞岳のような独立峰に魅力を感じる人、東北や北海道のような優しい山容が好きな人もいて、さらに雪のある時期に偏重する人もいれば、花の時期が好きな人もいるじゃないですか。
スタイルもそれぞれで、日帰りで長距離を歩きたい人もいれば、ゆっくりテント泊で自然の中にどっぷり浸かりたい人だってたくさんいます。
そして、それらの一つだけが好きだったり、全部が好きな人だっているはず。
登山とは一言で言っても、人によって好みに傾向は多様なんですよね。だから私にだって、これまで登った百名山の中でも「あまり楽しくなかったなー、好みじゃなかったなー、もっと別のルート、別の時期に来れば楽しかったかもなー」って山がいくつかあるんです。
「日本百名山」をしっかり読み込んでみると、氏があらゆる角度から考察して選んだことがよく分かりますし、交通インフラが整備されていない時代の長いアプローチを含め、そういったストーリーがあって百名山の一つになっている山もありますよね。
しかしながら、そういった「本文中の文脈」を取っ払って「百名山のリスト」を作ってしまうと、どうしても総花的なものに感じてしまうのは確か。
でも百名山をやっている人のほとんど(私も含めて)は、百名山のリストを塗りつぶしていくことに夢中なわけで、ここで原作の文脈を無視してしまった百名山のリストっていうのは、必ずしもすべてが自分の登山スタイルと一致するわけではない、過不足が生じてしまうのかなって。
おそらくこれだけ山に恵まれた国の中から、たった百座のリストを作るっていうのがちょっと無理があるのでは?って私は考えていて、その点では二百名山や三百名山だとちょうど良い数だと思うんです。そこから自分で好きな百座をチョイスすればよいと。
だから私の今後の方向性としては、日本三百名山の中から自分の好みにあった山をチョイスして楽しむ、それが100以上あるのか、100未満なのかは分からないけれど、そこを目指すのが良いのではないかと。それこそが「私にとって最も幸福度が高い登山」なんじゃないかって思うのです。
これから百名山を目指す方に向けて
百名山完登を目指すのは、自分の好きな山に登るというよりも、百名山完登というゲームを楽しむことに近い、私はそのように感じています。
それ自体は他人から賞賛されることはあっても、否定される理由はまったくないし、例えそんな指摘をされても無視すればいいと思います。
ピークハントなんてあまり良くない意味で揶揄されがちですが、そういう楽しみ方があってもいいわけですし、本人にとっては大きな達成感が得られることには間違いない。そういう私だって日本二百名山、北海道百名山、都道府県最高峰などを継続中です。
ただ、すでに若いころから継続中の方ならまだしも、年配の方がゼロから取り組むには、時間も費用も大きな代償を払うことは確か。ある意味では残りの人生の大半をつぎ込むくらいになるので、よくよく考えてから取り組んで欲しいと思うんですよね。やはり70歳を過ぎるとアクティブに動けなくなりますからね。
「登っている山が間違っていた」、そんなことにならないためにも慎重に考えたほうがいいと。
慎重に考えるっていうのは、「自分が百名山完登に何を求めているのか?」ってこと。
- 日本百名山のリストをすべて塗りつぶして達成感を得ることを第一義と自覚している。
- 日本百名山の本文中の文脈を辿って、深田久弥という一人の登山愛好家が百名山を選んだ理由を知りたい。
- 自分が好きな山登りのスタイルに合致する山をチョイスして登りたい。
やる理由は人それぞれ異なると思いますが、衝動だっていいんです。でも「目的があるってこと」が大事。
10や20ならやり直しがききますが、なんと言っても100もありますからね。旅の途中で「興ざめ」しないように(まあ、それもまたいいのですが)、百名山完登の「動機」をしっかり確立してからスタートして欲しいと願います。
そんな私も、自問自答している今日この頃です。
とはいえ、これまで登ってきた百名山のほとんどにハズレはなかったのも確か。私の場合、天気が良くて気分も良ければ、どの山でも楽しめるのかもね。