今日は久しぶりに十勝連峰へ遊びに行ってきた。
高気圧の中心がやって来て、明日にかけて東へ移動していく。
こういう機会はそうめったにあるものではない。行かねばなるまい。休みを取ろう。そうだ、都合よく先月のフィリピン出張時の代休がある。
こうして今しかないチャンスを得た。
23時に目覚ましをセットして、午前2時30分から登り始める計画でいた。自宅出発の場合、登山口で車中泊はしないタイプ。短時間でも自分のベッドで寝たい。
で、そうすればいい感じでご来光を見られると踏んでいた。
しかし2日連続で早朝5時出社で寝不足気味だったこともあり、どうしても起きられなかった。こういう時、同行者がいるのといないとでは緊張感が違って、結果も異なる。結局出発は2時。
上富良野までは一般道で3時間くらいかかるので、明るくなってから登山開始だ。5時出発。いや、これがフツーなんだよね。深夜からヘッデンで登るほうが異常なのに、慣れとは恐ろしい。
今日は十勝岳山頂まで3時間はかかっていない。
しかしスリバチ火口縁までですでに2組に追い抜かれ、その後も先行者に追いつくこともなかった。
私はCT×0.7から0.8程度で歩くので、決して足が遅い方ではないと思う。なのに今日は違った。やっぱ年齢には敵わないのだろうか。
そういえば5日前に白旗ー藻岩ー円山の40kmピクニックをやった。
その時は頭の中をある曲がずっと流れていた。
井上陽水の氷の世界だ。このアルバムの発売年は私の生まれ年の1973年だなので、私の青春時代の歌というよりは、1つ上の世代の音楽だと思う。
理由は分からない。謎。
で、今回もどういうわけか氷の世界だった。頭の中からずっと離れない。
火山岩ばかりの殺風景な景色が広がる中、どういうわけか「吹雪、吹雪、氷の世界」だ。
リンゴ売りなんてどこにもいないし、画期的な色になったテレビもない。
すれ違う女性は醜くなんかない、もれなく魅力的だ。
ソロで山を歩いている人って、みんな何を考えたり、どんな唄を口ずさみながら歩いているんだろう?
「こんにちは!」と挨拶しても、無反応で仏頂面で歩いているタイプの男は、もしかすると頭の中に氷の世界が流れているのかもしれない。
山中で出会う人と会話する時、「どこから登ってきましたか?」的なその山のストーリーに関する話題が大半だ。
でも第一声から「今何を考えながら歩いてましたか?」とか「歩きながらよく歌う唄とかメロディは何ですか?」って質問したらどうだろう?気味悪がられるだろうか?
山をやり始めた頃は山の話題が楽しいし、夢中になる。
でも山に登ることがマンネリ化して惰性になってくると、心境が変わってくる。同じようにマンネリ化した人同士の会話は、お互いに共感を得るようなマイナーなネタになってしまいがち。
だから、山に居て山以外の話がしたくなるのかもしれない。
そんなことを考えながら、数時間という時間があっという間に過ぎていく。
そもそも現代人は忙しい。無駄が削ぎ落とされた短絡的なものを好む傾向があるので、登山なんて無駄の塊と敬遠するだろう。
だからこんなたっぷり時間があるのはオジサン、オバサン、それ以上と相場は決まっている。
それ以下の若い人は山なんかに来ている場合じゃなくて、そんな時間があったら「恋せよ乙女」だ。若い時代をムダにしてはいけない。
そんなくだらないことを氷の世界と交互に考えていたら、8時間の山行時間なんてあっという間に終わる。
ああ、今日も有意義なトレーニングができたな。
さあ、次の日曜はどこで無駄な時間潰しをしようか?