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父を葬送した話

 

一昨日、父を見送った。

 

先月緊急入院し、その知らせを受けた後すぐに見舞いに駆けつけた。肺がんですでに余命宣告を受けていたようだった。この段階での父はまだ普通の姿で、会話もできた。

 

病院からの帰り道、「そうか、年が明けて夏頃には他界するか」とぼんやりと考えていた。

 

年末年始休暇を仙台で過ごし、鹽竈神社のお守りを持って1月7日に見舞いへ行くと、まだ意識はあるが、話が通じたり通じなかったり、急に眠ったと思ったらいきなり目が開いて話し始めたり。もう長くはないことは分かった。

 

1月入ってからは仕事が忙しく、8連勤明けの休日となった1月24日、その日はすでに夜明け前に病院から連絡を受けていた。そしてその夜に帰らぬ人となり、一昨日葬送した。

 

 

葬儀では形式上、私が施主を務めることになった。喪主と施主との間に血縁関係がないのは段取りが難しい。何と言ってもほとんど会ったことがない。連れ子にあたる姉妹とは臨終間際に初めて会ったばかりだ。

 

そこで、間に入った父の弟が実質取り仕切ることになった。差し障りない範囲でのコミュニケーションが災いして、参列者に多くの非礼があった。恥ずかしくて穴があったら入りたい。

 

臨終のその日に施主を依頼されたとは言え、初めから私がもっと前に出るべきだった。葬儀費用は負担するからあとはよろしく、とはいかないのである。私がもっとしっかりしていればこうはならなかっただろう。そう、すべて私の責任、親戚関係は難しい。

 

その他にも故人の負の側面が明るみになってきた。正直言って葬儀が終わってからのこの2日間のほうがドッと疲れた。膿を出し切って後に残さないようにしなければ。

 

 

さて、この2カ月間でいくつか学びがあったので、記録に残しておこうと思う。

 

 

父が余命宣告を受けたとき、「もし自分だったら」と毎晩のように考えるようになった。

 

想像力を働かせれば働かすほど、本当にゾッとする。

 

今を生きることにフォーカスしている私ではあるが、それでもお終いを意識すると本当に怖い。今日一日をどう生きるか、もっと自問自答しながら暮らしていこう。

 

 

それと葬儀が終わって一度解散した後、ごく少人数で偲ぶ会をした。私からの労いと感謝の気持ちを伝える慰労会の意味合いがあった。

 

独身で一人っ子の私だが、やはり今回は身内に助けられたのだということを、慰労会を通じて実感した。

 

家族葬に限りなく近い小規模な葬儀とは言え、香典や供物はもちろん、僧侶や親戚との調整は本当に助けられた。

 

さらに何かあったら帰る場所があるということにも気付かされた。今後の人生において私の支えになる人たちだとあらためて実感した。

 

 

今まで何人かの葬儀に参列したことがある。やはり長年一緒に暮らしたためか、父の死はそれまでの人たちとは感じる重みが違う。

 

葬儀も参列する側から主催する側に立場が変わると、景色が全く異なる。

 

こういう話は親が健在なうちから、親兄弟間で話題にしておくことが重要だと思う。終活は当事者だけの話ではない。残される人にとっても同じくらい重要なのだ。それは先に逝く人がしっかりやるべきだろう。何も相続のことだけではないのである。

 

その他にももう少し時間が経ったら、気付きがあるかもしれない。その時はまた追記することにしよう。