3月に上海経由でバンコクに行ったときの動画をアップした。やっとである。
動画の内容も、旅そのものの内容も相変わらず薄っぺらい。登場人物が喋らないというのも奇異な動画だと思う。
なのに再生回数が約1,000回になった。見られないように、あえて月曜の朝に公開したにもかかわらず。本当にアルゴリズムとは謎である。
そう、本音を言うと、あまり見られるのは恥ずかしい。ブログと一緒で辺境の地で長く細々と続けたいので、ボチボチがちょうど良い。共感してくれる一部の方に刺さればそれでよいのだ。こういうタイプの発信者だっているのだ。
さて、中身の問題。
冒頭で薄っぺらいと言ったが、逆に何をすれば厚みが出るのだろう?
文化も異なり、言葉も通じない場所を一人で行動し、そういうアウェイな環境下でやれることなんて、等身大の自分以下だろう。
だから日本での自分が薄っぺらければ、海外ではもっと薄っぺらいわけだ。そんなことは当たり前。それに気付くと、何も悩むことはない。背伸びする必要もない。
そしてYouTubeは動画である。
動画は写真ほど瞬間的ではない。テキスト媒体よりも等身大の自分が伝わりやすい。
だからこそ、盛らずにありのままでいるほうが自然だと思う。私の場合、不自然なのは坊主頭なので常に帽子を被っていることと、サムネでは作り笑顔をすることくらいだろうか。
テレビ番組の撮影に立ち会った経験があれば分かると思うが、カメラが回っている時とそうでない時の出演者のテンションはたいてい異なる。
つまり、外向きの顔でないとテレビではウケないのだ。
私のような素人が自然体でいる動画がウケるとはとうてい思えないので、世の中への影響力を高めたいとか、収益化を考えているのであれば、方向性が間違っていることは自明である。
でも私は冒頭で触れた通り、長く細々が心地よいからこれで良いわけだ。以上。