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ブログとAIの話

先日韓国へ行った時、ソウルからバスで釜山へ行こうと思い、バスの乗り場や料金などについて調べてみた。

 

最近はこの手の調べ事は主にパープレキシティで調べている。今回もそうした。

 

返ってきた回答は、特に可もなく不可もない内容だったように思う。まあ参考になった。

 

ところが情報源を見てみると、見慣れたアイコンが表示されている。

 

なんとこのブログが情報源の一つになっていたのだ。

 

まず最初に感じたことは、このブログ内に書かれている内容の真偽をどうして正しいと判定のか。もちろん体験に基づくことなのでウソは書いていないが、もしかすると真実ではない可能性もある。例えば状況が変わっているケースだ。当時は真実でも、現在は虚偽の内容に変化しているかもしれない。

 

そのように考えると、過去に書いたブログであっても公開し続けている限りはやはりメンテナンスが必要になるということを再認識した。これは私が最も苦手とすることだ。気を付けよう。

 

もう一つ感じたことがある。

 

テキストでの情報提供主体のブログコンテンツ(例えば、○○の作り方のようなもの)は、これからAIによって駆逐される可能性が高いということだ。つまりユーザーは、AIがウェブサイトで情報を見つけて要約したものを見ることになるので、情報源のブログそのものには訪れなくなるだろう。

 

これはAIに情報提供する、つまりAIの下で働いているとも解釈できる。書き手としては自身の存在意義が問われるように思う。ある日突然自分の存在している場所が失われる。それが会社からの解雇ではなく、AIによって自分の立場が奪われたと考えると、同じドラスティックな変化でも心のダメージは大きいかもしれない。

 

私のようにただの趣味で書いている人はともかく、広告収入をあてにしている人は収入源としても大打撃を受けるかもしれない。これは読み物系のコンテンツが再び返り咲く可能性もある。とは言え、そもそも1カ月に1冊も本を読まない人の割合が62.6%もいると言うから、活字を読む人の分母はかなり少ないだろう。つまりニッチな存在であることには変わりない。

 

 

世の中はどんどん進化していて、ネット界隈は波に乗り遅れると二度と波に乗れないし、乗れたとしても賞味期限が短い。YouTubeやSNSだってそうだろう。テレビ世代の私にとって、賞味期限の短さは本当にリアルに感じられる。インターネットの世界で何年も脚光を浴びる人は限られる。ある意味ではアスリートの世界より厳しいのではないだろうか。

 

ホント、ブログなんてボチボチと自分のペースでのんびりやっているのが一番楽しい。ブログは相手の反応をイチイチ気にしなくて良いので私には最適、これからも長く続けていこう。もしかすると、こういうタイプの人間しか残らなくなるかもしれない。でも私は変化が好きなので、新しいこともどんどん受け入れていこうと思う。